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2006年

 

マイアミ・バイス 60点 テレビ
マイケル=マン(監) コリン=ファレル、ジェイミー=フォックス、コン=リー、ナオミ=ハリス
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マイアミ・バイス

 

マスター・オブ・サンダー
決戦!! 封魔龍虎伝
30点 テレビ
谷垣建治(監) 木下あゆ美、芳賀優里亜、椿隆之、永田杏奈、千葉真一、倉田保昭
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マスター・オブ・サンダー 決戦!!封魔龍虎伝

 

間宮兄弟 65点 劇場
森田芳光(監) 佐々木蔵之介、塚地武雅、常盤貴子、沢尻エリカ、北川景子、戸田菜穂、岩崎ひろみ、高嶋政宏、中島みゆき
 ビール会社の研究員の兄、間宮昭信(佐々木蔵之介)と小学校の校務員の弟、間宮徹信(塚地武雅)は都内で二人暮らしをしている。子供がそのまま大人になったような二人はいつも仲良く楽しく過ごしていたが、その中に恋人がいれば素敵と考えた二人は、一念発起し、徹信の勤める小学校の教師である葛原依子(常盤貴子)と常連になっているレンタルビデオ店員の本間直美(沢尻エリカ)を招き、自宅でカレーパーティを開く。四人は楽しく過ごすことが出来たが、親密になるまでにはどうしても至らず…そんな兄弟の日常を描く。
 本作を観るのはかなり躊躇があった。いくつかの理由を挙げると、
オタクを題材にした作品はかなり痛々しい感じのものが多く、そう言うのがどうにも苦手なこと。それに森田芳光監督作品はこれまではずれが多すぎたこと。いくつか好みの面白いのもあるけど、それ以上に叩きつけたくなるような作品見せられることもしばしば。
 しかし、なんだか妙に評価が高いし…という世間の評判を頼りに劇場に。
 少なくとも、
良い意味では裏切られた。間宮兄弟の描写は全然痛々しくない。二人はオタクと言うよりは、永遠の子供という意味合いの天真爛漫さを見せてくれたし、それを取り巻く、時として残酷な冷徹な現実との折り合いもちゃんとついてる。彼らはそう言う外界をシャットアウトするのではなく、そう言う現実と共存する知恵をちゃんと持っているのだ。これまで江國香織原作をなかなか表現できた映画はなかったが、これは初めて上手く江國テイストを再現できた作品では無かろうか?(原作そのものは未読なんだが)
 そんな二人の生活と、彼らを取り巻く大人のドロドロした関係とが上手く対比された日常が描かれる。ある意味普通の人の普通の生活が描かれるわけだが、それは不思議と心地よい。どんなに普通の人であっても、人と交流している限りそこには
必ずドラマが現れる。そう、彼らは現実から逃げていないからこそ、ドラマが成り立つのだ。ドラマ部分は彼らが直接関係するものもあるが、多くは彼らとは無関係に起こる出来事で、彼らはその影響を受ける形を取り続けている。その影響で悩んだり、苦しい思いをしたりするのだが、それを独自の暖かいタッチですらっと描いているのが面白い。
 その何気ないドラマを面白くさせているのが演出の巧さ。何気ない仕草の一つ一つ、表情の一つ一つが間宮兄弟を愛すべき存在とさせている。愛すべきとっちゃんぼうや達。彼らがオタクとは言い難いが、少なくとも、オタク達がなり得る一つの理想型なのかもしれない。
 ただ、それだけで見せるのに
二時間はちょっと長すぎた。あと10〜20分詰められたら、もうちょっとすっきりとした気分になれるのだが、中だるみというか、後半はかなりだれてしまったのが残念。色々工夫はあっても、基本的にほんわかした雰囲気が信条なので、それで1時間半以上はきつかった。所々で良いから、もうちょっとスピーディにしてもらえば良かったんだけどね。

 あ、後一つ。劇中違和感を感じ続けていたが、ようやく分かったのが一つある。私が何故間宮兄弟を「マニア」あるいは「オタク」と呼びたくないかと言えば、
部屋が整いすぎてると言う点だった。そこら中に資料やアイテムをぶっちらかしてあったり、雑然と積んであるところがどこにもない。それにあれだけの本があって、一切雑誌類が見えなかったのもあった。我ながら細かいけど、大抵この手の人間は古い雑誌を捨てられずに置いておく事が多い。特に新幹線マニアだったら、当然その手の雑誌はたくさん置いてあって然りだ。
 …ただ、前に読んだ江國香織の小説
「きらきらひかる」はとんでもない潔癖性が主人公だったから、この兄弟が単に潔癖なだけなのかもしれないけど…要するに、私自身が部屋を掃除すべきだという結論に達した。あそこまでとは言わないまでも、どこに何が置いてあるのか分からないような棚の中とか、DVDや本であふれかえって圧迫感を与える本棚はなんとかしておきたい。と痛切に…
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サウンド・トラック(CD)
間宮兄弟(書籍)
きらきらひかる(書籍)

 

ミス・ポター 65点 劇場
クリス=ヌーナン(監) レニー=ゼルウィガー、ユアン=マクレガー、エミリー=ワトソン、ビル=パターソン、バーバラ=フリン
2006ゴールデン・グローブ女優賞(ゼルウィガー)
 1902年。ヴィクトリア時代の封建的風潮が残るロンドンでせっせと自分のために絵本を描いていた女性ビアトリクス=ポター(ゼルウィガー)は、この絵本を出版しようと走り回っていた。いくつかの出版社を回るが、その中で唯一ウォーン兄弟出版社が出版を申し出る。実は兄弟の三男ノーマン=ウォーン(マクレガー)の初出版として、失敗をもくろんでのことだったが、ノーマンは初仕事で燃えており、その甲斐あって、絵本はビアトリクスの望み通りの形で出版され、しかも大ヒットする。誠実なノーマンに好感を持つビアトリクスに対し、ノーマンもついにプロポーズを申し出る…
 世界的なベストセラー絵本
ピーター・ラビットの生みの親でナショナル・トラストに属して湖水地方の自然保存に努めた事でも知られるビアトリクス=ポターの半生を描いた作品。これまで一度『ピーター・ラビットとなかまたち』(1971)という映画が出来たが、これは動物バレエを延々と映しているような作品で、ほんのちょっとビアトリクスの解説をしていただけ。本式の伝記では映画では初めてとなる(確か昔NHKスペシャルかなんかでTV用ドキュメンタリーは観た記憶がある)。
 ピーター・ラビットが世界中に愛されている絵本というのは本当で、私も子供の頃はボロボロになるまでこのシリーズを読んだ記憶がある。それもあって是非。という思いで鑑賞に。
 先ず本作は大変
映像的には優れた作品とは言えよう。湖水地方の美しさはかなり観ていて心地良いもので、ああいう田舎の風景を劇場の大画面で観ているだけでなんか癒されるような気持ちになる。そしてロンドンの描写も細かく、イギリス映画特有の長回しもかなり効果的に用いられている。アニメーション合成も気持ちよくまとまっている。
 キャラクタもこれが都合三度目のイギリス映画主演となるゼルウィガーが、本当に等身大っぽい女性の姿を好演。対するマクレガーとも、先の共演となる『恋は邪魔者』(2003)とは全く違った姿で落ち着いた演技を見せている。
 そう言う意味では映画的には優れた作品で、好作と言ってしまって構わないのだが、残念なのが物語のテンポ。悪い訳ではないのだが、それまでどれだけ出版に苦労したかとか、両親による貴族との結婚の強要やビアトリクスとノーマンの恋愛模様の葛藤とかが今ひとつ伝わってこないため、流れを追ってるだけという印象を受ける。恋愛劇が好きな訳じゃないけど、ここまで盛り上がらないとちょっと寂しい。それに湖水地方の保全に努める。という話まで描くとすれば、90分ちょっとでは足りなかったんじゃないかな?なんだか全てがとんとん拍子に進みすぎ。
 あっさり目の作品なので、誰が観ても安心出来るのだが、
ドラマ性が薄すぎるのが難点だな。
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ミス・ポター
サウンド・トラック(CD)
ピーターラビットと仲間たち ザ・バレエ
恋は邪魔者

 

M:i:III 45点 劇場
J=J=エイブラムス(監) トム=クルーズ、フィリップ=シーモア=ホフマン、ヴィング=レイムス、マギーQ、ジョナサン=リス・マイヤーズ、ローレンス=フィッシュバーン
 現場を引退し、MIF(Mission Inpossible Force)の教官となったイーサン=ハント(クルーズ)は婚約者のジュリア(モナハン)と幸せな日々を過ごしていた。しかし、ジュリアの家族を招いてのパーティの最中、教え子であるエージェント、リンジー(ラッセル)が国際的闇ブローカー、オーウェン=デイヴィアン(ホフマン)を調査中捕らえられてしまったというのだ。それで現役復帰の要請を迷いつつも受け、リンジーの救出作戦に参加するが、彼女は頭に仕掛けられた爆弾で死んでしまう。デイヴィアンに対し報復を心に決めたイーサンは再びチームを招集する…シリーズ第3作
 大好評シリーズの第3作。1作目がデ・パルマ監督の元、純粋なスパイものに仕上げられ、2作目はウー監督によってアクション作品に仕上げられていたが、3作目の本作は初監督となるエイブラムズの元、家族を大切にする男の物語として作られるのが特徴といえるか。
 パラマウント入魂のビッグ・バジェット・プロジェクトだが、先行するインタビューなどで、嫌と言うほど家族のあり方や、家族愛について語られていた。これを単純なアクション作品と見てもらっては困る。と言う感じだったが、これは単に製作に関わったクルーズが熱愛の末とうとう家族が出来た事を強調するためだったらしい。だってあれだけ「普通のアクション作品とは違う」と言っていたのに、実際は本当に
「ごくごく普通のアクション作品」にしかなってなかったから。特に近年アクション作品にそう言う人間関係の深みを与えようとする試みは多いのだが(具体的には『スパイダーマン』(2002)が良い例だけど、人間の心の内面にまで踏み込んだ『バットマン・ビギンズ』(2005)も良い出来だった)、どこかにそう言う所出してくれることを期待していただけに、それが全く描かれてなかった…というか、残念ながら伝統的な古い描かれ方しかされてなかった
 確かに様々な要素を取り込んで、アクション作品としては一級品であることは認めるし、迫力は他の追従を許さない。その点について悪口を言うつもりは全くない。特に後半走りまくるクルーズの緊張感は凄いし、40歳を超え、ますますアクションに磨きがかかるとは凄い。この人はこれからも第一線で活躍し続けそうだ。
 だが、そのアクションを離れて、一個の作品として観たらどうか?と言うのとは別の話である。
 先ず、本作は
『スパイ大作戦』とは完全に別物である。そもそも『スパイ大作戦』は個々のチームが上から与えられた任務をプロ意識で淡々とこなすところが面白い作品だった。組織ぐるみでバックアップするとか、はたまた個人的な思いを組織に優先させるなど、あってはいけないはず。何より、プロなのだから「死して屍拾うもの無し」が信条じゃないんだろうか?任務に失敗した人間をわざわざ助けるためにチームを送り込むなんて、まるでアメリカ軍そのものじゃないのか?(悪い意味で)最早これは諜報組織ではない。MIFってのは実は軍隊なの?しかも秘密の組織のはずなのに、大きなビルに堂々と居を構えてるし、こそこそした所がなく、明るい部屋で堂々とミッションが語られてる。部長クラスの権限でアメリカ国内にヘリや攻撃機まで派遣できる。テロを防ぐ組織がテロ起こしてどうするんだろう?大体スパイの話なのに、公然と派手な作戦行動取ってること自体で話が成り立たないだろ。設定で言ったらボロボロどころか笑止千万
 それと、これだけ実力派俳優を多く配していて、
全部が全部クルーズを格好良く見せるためだけに行動してるのもなんだなあ。クルーズってそう言うのを嫌っていたと思ってたんだけど、自分の製作でこんなもん作ってくれてはなあ。お陰で少々評価は落ちた。それでも『カポーティ』で昨年の男優賞オスカー俳優ホフマンは見事な演技。10年前のクリストファー=ウォーケンを思い出させるけど、まさかウォーケンの代わりになる人がいるとは驚き。『25時』(2002)の気弱な演技も上手いと思ったけど、この人の本領はむしろ悪役にあるみたいだ。
 物語的には、中国でのラビットフッドを奪うシーンが割愛されたのも勿体ないかな?入って出てくるだけだったからねえ。
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ミッション:インポッシブル
スパイダーマン
バットマン・ビギンズ
25時 スペシャル・エディション

 

麦の穂をゆらす風 90点 劇場
ケン=ローチ(監) キリアン=マーフィ、ポードリック=ディレーニー、リーアム=カニンガム、オーラ=フィッツジェラルド
2006カンヌ国際映画祭パルム・ドール(ローチ)
2006ヨーロッパ映画撮影賞、作品賞、監督賞(ローチ)、脚本賞
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物語 人物 演出 設定 思い入れ
麦の穂をゆらす風
ケン・ローチ 傑作選 DVD‐BOX

 

蟲師 60点 劇場
大友克洋(監) オダギリジョー、江角マキコ、大森南朋、蒼井優
 明治時代。日本の文明開化が進み始め、少しずつ闇が駆逐されていった時代。そこにはまだ妖しき生き物“蟲”がいた時代でもあった。蟲は人間に取り憑き、不可解な自然現象を引き起こす。蟲の謎を紐解き、蟲に取り憑かれた人々を癒す能力を持つ者は“蟲師”と呼ばれた。そんな蟲師の一人ギンコ(オダギリジョー)は日本中を旅しながら、各地で蟲に冒された人々を癒してきた。そんなある時、彼は虹を捕まえようとする不思議な男虹郎(大森南朋)と出会うのだが、その直後、蟲の力を文字に封じ込める女性・淡幽(蒼井優)の体に変異が起きたとの報せを受ける…
 漆原友紀の同名漫画の映画化作品で、これが実写第2作目となる漫画家・アニメ監督家の大友克洋が監督したということでかなりの話題になった。原作は私もそれなりに好きで、何話かは読んでいる。
 ただ、ネットの話題は今ひとつ。かなり酷評されていたので、私自身もほとんど期待はせずに鑑賞。
 う〜ん。確かに酷評の理由は分かる。私は全部読んでないけど、原作の何話かの話をつなぎ合わせたが、
つなぎがあまり良くなく、一見一つ一つの物語が乖離して見えてしまう。物語自体も結構退屈と言えば退屈。虹郎の存在が一見無意味に見えるし、それにギンコの子供時代ヨキがとにかく下手で見てられない。
 ただ、これが駄目作品か?と言われると、決してそんなことはない。少なくとも、この物語はある一定の方向性で見ると、「あ、なるほど」と思えるものを持っている。
 本作はエンターテインメントとして観るよりは、実はギンコという青年の精神的な物語として見ると面白い。ここに登場する蟲というのが、単なる自然現象ではなく、人間の精神のあり方として見るならば、実は本作の方向性はカウンセリングの過程をしっかりと辿っているのだ。
 本作の最大のテーマは“トラウマ”というもの。この言葉は割と簡単に語られることが多いし、私自身もレビューの際には適当な言葉を持ってくるより、これで一括りにすることが多いのだが、厳密に言えば、
トラウマとは心的外傷(psychological trauma)のこと。主に幼児期に継続的な暴力や性的虐待を受けたり、あるいは親の死を間近に経験することで起こる。これが人格形成にゆがみを生じさせてしまうことを言う。言わば、本来持つ性質がそれらの外的要因によって歪められてしまった状態のこと。これがあると日常生活にも支障が出るし、普段は隠されていたとしても、何らかの要因でこれが出てしまうと、命の危険さえある。
 最初の物語で真火という少女の話を持っていったのは、ギンコの役割は蟲を操ることであると共に、それを用いてトラウマを克服させるカウンセラーとしての役割を持っている事を見せようとしていたのだろう。真火は母親の死を直視することで、自分の中にトラウマを抱え込んだ。蟲のせいとは言っても、それは自分自身が引き込んだものだから、自分でそれを克服しなければならない。ギンコが真火の母親の頭に生えた阿を壊すことで回復したのは、真火がその瞬間母の死を受け入れたから。いわゆるギンコは蟲を使ってスピリチュアル・カウンセリングを施したのだ。
 そしてギンコ自身の話に移っていくが、彼の場合はもっと複雑。
 彼はヨキと呼ばれた子供の頃の記憶を持っていない。これも蟲のせいにされてはいるものの、これは実は彼自身があまりに辛い過去を持つため、自分自身の記憶に封印を施したからと見ることが出来る。
 では何がショックだったのか?それは母親の死と言うこともあっただろうが、蟲師としての先生であるぬいを失ったことの方が大きい。ぬいは自分自身闇の中に沈み込むが、その際、ヨキの左目をくりぬいている。彼女にとって、これはヨキを救うためだったはずだが、ヨキはそれを自分を拒絶したものとして受け取ったのかもしれない。だからトコヤミに支配されてしまい、それを記憶と共に封印した。ここでのトコヤミはギンコにとってはトラウマの象徴。
 それでも封印はほぼ完璧なものだったから、あんまり人と関わらないようにしている分には普通に生活出来ていた。
 しかし、淡幽の屋敷でギンコは自分の過去を直視せざるを得なくなる。絶対に見たくなかったものを見た瞬間、彼の自我は一旦崩壊してしまった。彼の体から出てくるトコヤミはその象徴であろう。
 ただし、崩壊したからと言って、自我そのものが消え去る訳ではない。
そこからが彼の本当の癒しへと入っていくのだ
 彼の精神を癒していくのは、彼自身が蟲師であり、人を癒す立場にあったことから。虹郎の
「人を癒し自分も癒してる」という言葉は実にその過程をよく表している。トラウマを直視してしまった人間が元に戻るためには時間がかかるが、そこで最も大切なのは、既に確立した日常生活の中で癒していくものなのだから。そこに虹郎が一緒にいたのも大きい。癒しは一人でも得られるが、彼を見つめ、面倒を看てくれる人がいるならば、その効果は非常に大きいのだ。人の闇を見続けるため、カウンセラーは無条件で自分自身を受け入れてくれる人を必要とする。虹郎は何をする訳ではないが、唯一、ギンコの全てを受け入れている。人の癒しにはこれが重要なのだ。
 そうして時間をかけつつギンコは自分自身を受け入れていく。彼の心にあったトコヤミがトラウマの象徴であるとすればギンコ“銀蟲”は彼自身の本当の心。それを見つけ出していく。
 そしてラストシーン。トラウマに陥った人間に限ったことではないが、人が本当に癒されるのは、実は自分自身の中にある
親を“殺す”事によってなされる。人の心には常に親の影があるが、自分の心の中で作り上げた親の姿に影響され続けると、人はいつまでも子供のまま。親は自分自身の心の延長に過ぎないから、自分と同一視してしまう。家庭内暴力というのは、実は自傷行為と変わらない。と言われるのはそのためである(ついでに言えば、日本人は極めてこの親離れが下手な国民とも言われている)
 ギンコはラストシーンで自分の心を支配していた親であったぬいを埋葬する。その時に彼は“銀蟲”という自分自身を受け入れるのだ。

 つまり、本作は“蟲”というキーワードを使ったスピリチュアル・カウンセリングそのもの過程が描かれた作品とも言える訳である。

 ただし。言っちゃなんだが、
わざわざそれをわかりにくい物語にしているってのが本作の最大の問題。大友監督の狙いは大変優れているのだけど、物語がそれに付いていかなかったし、分かるように作ろうとしなかった。
 例えば『17歳のカルテ』(1999)なんかはその過程を丁寧に辿りつつ、それが観ている側にも分かるように作られていたのだが、ここに来て大友監督の実写での実力不足が露呈してしまった。難しい素材だけに、それが見えてしまう。
 傑作になり損ね…以前の問題で、今は全然受け入れられてないみたいだけど、ひょっとしたら10年くらいしたら再評価されるかもしれないね。
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サウンド・トラック(CD)
蟲師(書籍)
17歳のカルテ コレクターズ・エディション

 

めぐみ
引き裂かれた家族の30年
45点 劇場
クリス=シェリダン、パティ=キム(監) 横田滋、横田早紀江、増元照明
 1977年に行方不明になり、後に北朝鮮に拉致されたことが発覚した13歳の横田めぐみ。行方不明以来、手がかりを求め続けてきた両親を中心とした拉致被害者の家族達。彼らの真相究明と帰国への願いを込めた戦いの記録。
 北朝鮮の拉致被害の報道は断続的になされていたが、それを順を追って描いた作品で、本作は日本ではなく、アメリカ人のクリス=シェリダンとパティ=キム夫妻によって製作・監督された。そもそもジャーナリストの二人が取材している内に心を打たれて製作に至ったとのこと。
 確かに拉致被害というのは華々しく報道される割には実体がわかりにくく、家族の努力などもとぎれとぎれにしか報道されないので、それをまとめて観られたお陰で、
理解度がぐんと上がった
 ただ、一見して思うことだが、ジャーナリズム慣れした人がドキュメンタリーを作ると、どうしても似たようなものにならざるを得ない。色々工夫はしても、テレビで放映しても何ら違和感のない作品になってしまった。ジャーナリストが言う免罪符は「弱者の立場から見た」だが、殊更それを強調されてしまうと、ワイドショーを観てる気分になってしまう。確かに娘を失った両親の悲しみは伝わってくるが、それが本当にそれだけで止まってしまっているのが残念。泣きを入れさせる演出もくどく、はっきり言ってしまって、
後半は飽きた
 設定は良いし、視聴者に拉致被害の実態を知らせるためという意味では映画化しても充分な作品であるとは思う。ただそれにしても、映画として成立させるためにはもう少し演出を考えて欲しかったな。
 決して観て悪い作品ではない。ただ、劇場で観る必然性が感じられないだけ。
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めぐみ-引き裂かれた家族の30年

 

森のリトル・ギャング
ユナイテッド93

 

善き人のためのソナタ 85点 テレビ
フロリアン=ヘンケル=フォン=ドナースマルク(監) ウルリッヒ=ミューエ、マルティナ=ゲデック、セバスチャン=コッホ、ウルリッヒ=トゥクール
2006米アカデミー外国語映画賞
2006LA批評家協会外国映画賞
2006ゴールデン・グローブ外国語映画賞
2006ヨーロッパ映画作品賞、男優賞(ミューエ)、脚本賞、監督賞(ドナースマルク)、女優賞(ゲデック)、音楽賞
2006
インディペンデント・スピリット外国映画賞
2007NY批評家協会外国映画賞
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善き人のためのソナタ

 

夜のピクニック 60点 テレビ
長澤雅彦(監) 多部未華子、石田卓也、 郭智博、西原亜希、貫地谷しほり、松田まどか
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夜のピクニック

 

リトル・ミス・サンシャイン 80点 劇場
ジョナサン=デイトン、ヴァレリー=ファリス(監) グレッグ=キニア、トニ=コレット、スティーヴ=カレル、アラン=アーキン、ポール=ダノ、アビゲイル=ブレスリン
2006米アカデミー助演男優賞(アーキン)、脚本賞、作品賞、助演女優賞(ブレスリン)
2006
英アカデミー助演男優賞(アーキン)、オリジナル脚本賞、作品賞、助演女優賞(ブレスリン、コレット)、監督賞(デイトン&ファリス)
2006
LA批評家協会ニュー・ジェネレーション賞(デイトン&ハリス&アーント)
2006ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(コレット)
2006インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞(デイトン&ファリス)、助演男優賞(アーキン、ダノ)、新人脚本賞(アーント)
2006放送映画批評家協会アンサンブル演技賞、脚本賞、若手男優賞(ダノ)、若手女優賞(ブレスリン)、作費sの右、助演男優賞(アーキン)、コメディ作品賞
2006
東京国際映画最最優秀監督賞(デイトン&ファリス)、最優秀女優賞(ブレスリン)
2006セザール外国映画賞(デイトン&ファリス)
 アリゾナ州のフーヴァー一家はリチャード(キニア)シェリル(コレット)の両親と思春期の息子ドウェーン(ダノ)とミスコン優勝を夢みる小さな妹オリーヴ(ブレスリン)にお爺ちゃん(アーキン)を加えた5人家族だった。そんな時に恋人の男に振られて自殺未遂をしたゲイの叔父フランク(カレル)を居候させることになった。それぞれに問題を抱えて心がバラバラになっている家族だったがそんな時、オリーヴに念願の美少女コンテスト“リトル・ミス・サンシャイン”出場のチャンスが訪れるのだった。一家はオンボロのミニバスに家族全員で乗り込み、開催地のカリフォルニアに向かうのだが…
 インディペンデント映画ながらサンダンス映画祭に出品されて評判を呼び、スマッシュ・ヒットを記録。アカデミー賞にまでノミネートされた作品。
 一見して思うのは、本当に本作は頭からつま先まで
徹頭徹尾インディペンデント作品だということ。明確な盛り上がりもなく、終わり方もどこか中途半端。エンターテインメント作品を最初から指向してなかった事がはっきりしている。これがアカデミー賞にノミネートされたと言う一点で、アメリカの映画がどれほど力を失っているかと言うことを如実に知らされた気分になった。実際オスカーを得たのも元が香港映画のリメイクである『ディパーテッド』だったし、2005年のオスカーだって俳優は豪華ながら、物語自体は完全にインディペンデントの『クラッシュ』(2005)だった。エンターテインメント作品が力を発揮出来ないと言うことは、やはりハリウッドが力を失っていることを感じさせてしまう。
 しかし、だからといって本作が悪いか?と言えば、決してそんなことはない。むしろ私はこういったインディペンデント映画が大好きだし、本作の作りも非常に好感を持てる。特に家族の再生を扱った主題は私にとっては
モロにストライクゾーン
 ただ、本作の場合は簡単なお涙ちょうだいにしないように上手くコントロールされており、まるで北欧映画のようにはっきりとした解答は与えられないまま。まるでダルデンヌ兄弟作品みたいだ。実際物語が終わっても、物理的にはなんのハッピーエンドにもなってない。だが、確かに目に見える明確なものはなくても、精神的な成長という点で観ると、本当に見事に良いものを手に入れているのだから。
 家族というのは、普通の人間関係と較べて大変な所がある。本来の他人であるはずの人間が強制的に物理的近さを強いられる。特に現代は個の大切さが叫ばれ、家族は“最も近い他人”と言われることがあるが、それはつまり、お互いに引くことを覚えない限り、距離感を保つことが出来ない。と言うことをも意味する。
 特に本作の場合、家族の心は見事なまでに全員バラバラ。しかも全員が自分の主張を通そうとして勝手な言い分ばかりを繰り返し、どうせ自分の意見は聞かれない。と思えば引きこもるしかできなかった。
 だけど、この旅を通し、狭い所に閉じこめられて初めて彼らは“距離感”を得ていく。物理的な旅は一人一人が精神的な成長を遂げる精神的な旅でもあるのだ。明確に和解とまではいかないまでも、本来あるべき距離を取り戻していく。それが静かな感動を呼ぶ。
 本作の上手さはその距離感を上手く演出出来たことが一番だが、他にも多くの魅力がある。
 先ほど北欧映画との類似を書いたが、舞台をカリフォルニアに取ったことで、北欧映画にありがちな陰鬱な町の描写とは一転し、明るい太陽と陽気な人間達が多く登場。しかもピンポイントでコメディ的要素を入れることで、決して暗くはならない。お陰で本作はアメリカだからこそ出来るロードムービーに仕上がっている。更にインディペンデント映画の良さで、個々の主張がメジャー系では気を遣って出来ないようなかなり過激なレベルになっている所もあり。インディペンデントだからこそ出来ることを上手く使っている巧みさも感じ取れる。
 キャラクタの上手さもあり。元より濃すぎるキャラではあったが、アーキンは老人になっても濃さは変わらないね。不良老人を嬉々として演じていたよ。むしろ老人になって最もはまり役に当たったかな?少女役のブレスリンの上手さも光る。決して可愛いとか美人とか言えないのに、だからこそ自然な子供っぽさが出ていたよ。
物語 人物 演出 設定 思い入れ
リトル・ミス・サンシャイン
ディパーテッド
クラッシュ

 

ルパン三世
セブンデイズ・ラプソディ
45点 テレビ
亀垣一(監) 栗田貫一、小林清志、井上真樹夫、増山江威子
 ニューヨークの競馬場売上金の強奪計画を立てたルパンと次元は計画前の前祝に街へ繰り出すのだが、そこでルパンは、怪しい男達に追われている少女ミシェルを助ける。ミシェルは“死の商人”と恐れられている父ガズ=キューイックからダイヤを奪って欲しいと依頼する。一方、次元はかつての戦友ライアットと再会していた。ライアットも又、キューイックに関わる依頼を次元に持ってくるのだが…TVスペシャル18作
 いい加減よく続いているシリーズ。内容そのものはさほど問題を感じないが、そろそろ声優がきつくなってきたことを感じさせられた作品となった。声が痛々しく感じてしまうんだよな。
 ものとして2期シリーズの雰囲気をよく再現しており、おちゃらけた部分とハードな部分、硬軟兼ね合わせた作品とは言える。ただ一方では、わざわざスペシャル化して、こんな何気ない作品を作ってしまって良いのか?と言う思いもちらほら。
 五ヱ衛を使いにくいのは分かるけど、今回完全なギャグ要員にしてしまったのは間違ってるとは思う。
 数ある中の一本という感じで観れば、安心して観られる作品だろう。
 もし来年も続けるのであれば、次回は是非声優を全部入れ替えてやって欲しいと思う。
物語 人物 演出 設定 思い入れ
ルパン三世 セブンデイズ・ラプソディ 限定版
サウンド・トラック(CD)

 

レディ・イン・ザ・ウォーター
ロッキー・ザ・ファイナル

 

ワールド・トレード・センター 70点 劇場
オリヴァー=ストーン(監) ニコラス=ケイジ、マイケル=ペーニャ、マギー=ギレンホール、マリア=ベロ
 2001年9月11日のマンハッタン。港湾警察はいつものような朝を迎えていた。だが間もなく、世界貿易センタービルの北棟に旅客機が激突する大惨事が発生、港湾警察官たちに緊急招集がかけられる。かつてワールド・トレード・センターでの爆弾テロ騒ぎでの現場を経験した腕を買われたジョン=マクローリン巡査部長(ケイジ)以下、新人警官のウィル=ヒメノ(ペーニャ)を含む4人の警官がチームを組み、救出活動に当たったが、彼らがビルに潜入した直後、ビル全体が崩れ始めるのだった。
 常に挑戦的な映画作りで知られるストーン監督の最新作。ストーン監督作品は相性が悪いのだが、何故か劇場にかかると観に行ってしまう。不思議な監督だ。
 実はその挑戦ぶりがどれほどか?と言う期待もあった。その時点で一方的な被害に遭った立場のアメリカを、彼がどのような解釈で映してくれるのか?

 …ある意味、期待は大きく裏切られることになった。社会派監督として知られるストーン監督のこと。単に埋められているだけでなく、社会情勢から何から総動員して政府の対応を描くのかと思っていたのだが、見事なほどにそれは出てこないし、これまでのような心をえぐるかのような鋭い演出はなりを潜めている。
 だがそれ以上に、改めて、ストーン監督は演出面にかけては上手い監督であることを再認識させられた。少なくともディザスター映画として見るのならば、本作はかなり上手く作られた作品だ。
 ディザスター映画は普通救出される側と救出する側の二面で形作られるものだが、本作においてはほとんど救出する側が描かれていない。
ひたすら救出を待つ側と、その家族のみに焦点を絞って演出されている。
 主人公達は動けないのだから、当然声の演技が話のメインになるので、下手な監督が作っていたら、ただ退屈な内容になっていただろうが、ストーン監督はそれを見事に緊張感溢れるものに撮ってくれた。実際に起こった事をきちんと調査して行っているので、リアリティも強い。それだけに最後の救出劇は本当にほっとさせられる。
 映画単体としてはかなり上手い作品と言えるだろう。

 ただ、結局は災害に巻き込まれてしまった一市民が、ただ待つだけ。と言う内容を
わざわざストーン監督が選んだ理由がよく掴めない。この人はもうちょっととんがったものを作る人じゃなかったか?しかも登場は僅かとはいえ、神がかった保守的な人間をヒーローのように扱う撮り方もらしくないよなあ。妙に保守的傾向が強いように思うのだが?

 ストーン監督だったら、
強引に陰謀説でっち上げて、軽くでもその演出を入れて欲しかった…と言うのは酷か?(というか、私自身はそう言うのが嫌いなんだけど)

 ストーン監督“らしい”ものを撮ると文句を言い、“らしくない”ものを撮ると文句を言う私はやっぱり嫌な奴だな。
物語 人物 演出 設定 思い入れ
ワールド・トレード・センター
サウンド・トラック(CD)